法治主義のない国、独裁国家中国
つくづく法治主義という言葉を思う。
法律によらず統治はできない。あるのは支配だけだ。
明白なルールがなければ人は従えない。
あるのはご都合主義のチカラの行使による強制だけだ。
こんな国で奴隷をやってきて沈黙をし続けてきた連中は人間的にもおかしいと思わねばいけない。道徳などないし、公共心もない。棒で叩かねば分からない連中だ。
習近平に近い人間は無罪放免、そうでなければ投獄。
まるで中世の話を聞くようだ。
もともと縁故主義の腐敗体質の中国、これを叩き出すといいながら自分もこれを使ってのし上がってきた人間が矛盾とは決別など出来るはずもない。
毛沢東を信奉し、ウィグルの大量虐殺を影で進め、自国の国民の総監視社会を作り上げようとしている独裁者だ。
我々は先進国の一員として、こういう中国社会の暗部をただ「分析」するだけにしてきた。
そこにどんなに不正があろうと、どんなに不実があろうと他人様のことと放置してきた。
中国はこれを利用して内政干渉とすら開き直ってきた。
しかし、相応しい人間とだけ付き合うというのは我々が普通にやっていること。
おかしな人間には近づかないのが当然のこと。
世界に共有できる価値がある国だけが繁栄を謳歌できる。それが本来だったはずなのだ。
エセ左翼がこれを看過し、合理性という名の利益崇拝が無責任さが増長し、この国を放置し続けた。
その有様が今の危機だ。
いまのアジアは戦争の危機にある。
こういう独裁が自分の権力維持だけに集中しようとすればどういうことが起きるかは容易に歴史が証明できるではないか。
日本のマスゴミが報道しないあちこちで問題が起きている。
日本は憲法を改正し、恐怖に対抗する準備をしなければいけない。
無責任な人間ほど平和を叫ぶ、自分が死ぬから若いものを道連れにしたいかのようだ。一人で惨めに死んでいく今の老人はまさにその天罰であるかのようだ。