財政赤字の真実、「別に悪くはない」
よい記事だと思う。
やっと正論が言えるようになったのか、そんな気がしている。
国家というものは「家計」じゃないのだ。
儲かっただの、今年は赤字だの、そういうことを気にするのは間違っているという真理。
ドイツがこれを気にしているということ、間違ってしまうのは、ヒットラーの台頭という呪いがあるからだろう。哀れなことだ。
しかし、だからこそ結果として、守銭奴国家、自らの国家としての責任を果たさない国になってしまっているのだ。
結局、国家とは信用力だ。
防衛も、自由や民主制の堅持も、世界で共有できる価値観ということも、国際的なプレゼンスも、全てがそれにつながること。
主婦が家計を心配するのとは訳が違うってこと。
そんなこと、よくも分からなかったものだ。
経済学者も昔からそういう馬鹿を言っていたものだ。
なぜなら、「国家は死なない」からだ。
これを悪く言うなら「永遠に続くネズミ講」とも言える。
しかし、今の世界は新たな国家の誕生や国境線を引きなおすことは許されない世界になっている。
つまり、この状態を所与として、我々は維持し続ける決断をした、人類はその覚悟があるということ。
だからこそ、潰れないためには国家はその信用力に注意すべし、政権担当者は注意しないといけないということ。
だから、逆説的だが、政権が財政赤字を心配するフリというのは、必要ではあるのだ。
そして不安の払拭に努めるという態度は必要だ。
開き直ってもしょうがない。
しかし、それはいわばポーカーゲームでの顔色のようなものだ。
破綻しかけ、国民が疲弊する国家のモデルをよく考えればいい。
それはたいてい恥も外聞もない運営をしているというだけ。
国の借金や経済成長などあまり関係がない。
国家は企業体でもないのだ。
一方で、国家として恥も外聞もなく法治主義もないことをさらけ出して、馬鹿な主張をして平気な連中がいる。
まあ、それがあの半島が筆頭ではあるのだが。