毎日の社会で起きたこと

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「パラダイムシフト」という言葉が使われだした

jp.reuters.com

 

 コロナ禍はまだ収束すら見えてはいないが、「パラダイムシフト」という言葉がこんな風に出たのであれば言及せざるを得ない。
 つまりこれから先の世界の話になる。

 

 この記事はについて言えば、残念ながらまるで薄っぺらなものでしかないように思える。


 昨日書いたように、「クラウディングアウト」という言葉すらすっかり忘れていた連中がまあよくも言ってくれるものだ。そんな印象しかない。

 FRB国債の買い入れを抑制しなくては景気対策など効果が出ないからだ。

 

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 端的に言って、これから予想されるパラダイムシフトというものは、「国家による統制の強化」ということになるのではないかと思う。コロナ対応からそれが顕在化したのではないか。

 逆説的だが、その代わりに市民はより自由で無責任な立場を謳歌することになる。

 悪く言えば堕落だ。

 国家への権限の委譲がもっと進むということだ。

 

 それがこれから起きるパラダイムシフトということなのではないか。

 

 なぜなら、政府が都市の封鎖をする決断をすることを市民は今も求めている。

 アメリカ、NYなどですらそうなのだ。


 トランプのしようとする経済活動の再開に対して、失業して干上がりそうな市民ら自らがストップをかけている。

 わざわざ、市民らがコロナ封じ込めのための自粛、その対策をさえ要求しているのだ。


 これは決して市民からコロナに何かしようというレベルではないことがわかる。

 市民は自ら動こうとはせず、すべてを中央へと任せつつあるように思える。

 確かに現在のウィルスは非常時だが、それはあまりにも物分りがよすぎる。

 

 これは豊かな先進国の遺産をアテにしているということなのではないか。

 今しも言われている世代間の断絶も、それを照準にしているということなのではないか。

 

 今やコロナの感染拡大は、自分たちで何かできるとか、そういう場合でないということも世界は思い知っているということか。

 

 しかしそうなると、その政府の質が問題となる。

 それが習近平のような、個人的動機に基づくだけの独裁では、市民は個人に命運をゆだねることにもなるし、逆に例えば、あまりに個別の利害関係について配慮するしかないような、例えば日本の地方自治のようなものでは心もとない。


 要はこれから起きる「パラダイムシフト」とは、こんな記事で書かれているようなキスやハグ、クスリの処方などの文化的レベルで起きることではないということだ。


 もっと大きなパラダイムシフトが予想されるということだ。


 それは「大きな政府」への志向を意味するはずだ。
 常に間違いのない政府が、市民を導き、市民はそれに従うという世界だ。


 すでに北欧ではそうした社会ができていた。

 国際的にそうしたトレンドができるのかも知れない。

 

 大きな政府は間違ってはならない。

 しかし市民はこの意思決定の過程にわざわざ異議しない。

 

 どうだろうか。

 

 これを前提として考えれば、少なくとも株式的には中央銀行間で保有株式の交換などで需給の調整をする、そういう完全なコントロールがまず考えられる。

 これまで日銀が買い集めてきた株は、今更、日銀が放出できるはずもない。

 となれば、その株を外国政府と互いに交換することで本質から逃げることはできる。

 通貨スワップの資産バージョンだ。

 

 

 とまれ、こうしたことはまだちょっと先の話にはなるだろう。

 ただ言えるのは、こうしたアイディアが出るだけでも、株価という虚構を維持する仕組みは崩壊させずにおくことができるということだ。 大きな政府への信任によって。

 

 これまでの経験則からすれば、「パラダイムシフト」というものは常に忍び足でやってくるものだ。

 だから、よくも悪くも、個人としては大いに警戒し、想定すべきことではある。


 そう思う。 

 

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