グアンタマモとコロナ感染隔離
人々は忘れてしまったかも知れないが、グアンタマモ基地は生きている。
今、そこにコロナ感染が広がる余地はないのだろうか。
囚人ヘの虐待ややりすぎなどの問題はあったが、今もテロに参加する疑いのある者をグアンタマモは収容はし続けている。
「釈放するには危険すぎる」との理由で拘束が続けられているとされているが、実はその本質は本来はまるで違ったものだったはずだ。
それが隔離ということ。
アメリカはイスラム系の、それこそテロとつながりを持つ疑いのある連中を、拉致すらしてここに連れてきた。
そして滞在させ、食事を提供し、人道的に扱うよう注意してきたはずだ。
テロを起こす疑いのある者だ、いっそ皆殺しにしてしまうならそれでいいではないか。
これは戦争だ。
何を無駄なことをしているのだ、そういう批判すらあった。
だが、この拘束には違う意味がある。
何もヒロシマやナガサキの時代ではないと、二の足を踏んでいるわけではない。
殲滅できればする。それは今でも変わらぬ戦争の掟だ。
ただ、グアンタマモにはある種の合理性がある。
すなわち、それは隔離だ。
この基地での拘束の意味について次第に目的が見失われていったことは、大きな間違いであり、コロナ感染の隔離をきっかけとして、再びこの意味が見直されるべきだと思う。
すなわち、これは隔離政策ということだ。
一時的な隔離だ。
アメリカにテロ攻撃をしかけかねないとして拘束されている連中は、まだ攻撃を実行したわけではない。
反面、そのような連中や勢力、動機はいくらでも存在する。
その疑いのある彼らに積極的に攻撃を仕掛け、戦闘することにはリスクがある。
兵士には危険が及ぶだろうし、命を落とす者は必ず出る。
そして憎悪の連鎖は際限がなくなる。
だからキーマンや教育水準の高い者、扇動者となる可能性のある者を拉致しても拘留し、そのグループから一時的に消す。
飯をたっぷりと食わせ、拷問すらしない。
そうして時間がたち、彼らがいきなり解放されたとして、その彼らの属していたグループは彼らをどう思うだろうか。
グアンタマモにいたにしてはふくよかだ。
どこにも不自由していた痕跡がない。
そして本人だけが「グアンタマモにいた」としているのだ。
もしかすると「ダブル」かも知れない。
アメリカに寝返って忠誠を誓うようになったのかも知れない。アメリカにはイスラム教徒もいるのだ。
つまり誰にも信用はできなくなる。
そうして信用できないその輪を回すことで、テロの危険を未然に防ぐのだ。
それが隔離だ。隔離政策ということの本質だ。
どんなにイスラム主義の理想が高く、止められないほどの殉教の意思に燃えていたとしても、協力者がいなければ大規模なテロはできない。
その協力者たちから裏で取引をしていた人物と疑われれば、テロ計画など立てようもない。そして中心人物がいなければ回らない。
イスラムの歴史もまた裏切りの歴史である。
囮、ダブル、裏切り者、そういう疑いが一度でも起きてしまえば何もできない。
グアンタマモでの拘留は隔離なはずなのだ。
これはコロナ感染と隔離措置ということを考えれば容易に連想できることだろう。
だから、アメリカはこの経験を生かすことができれば、コロナウィルスについても成功できるはずだ。
もしあれから時間がたち、無能が跋扈するようになっていたとしたらそれは悲劇だ。
コロナ感染の拡大すら止められないに違いがない。