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アルゼンチン、債務減免交渉


jp.reuters.com

 

 アルゼンチンは世界でも新型コロナの感染者が多いところだ。

 人口に対する比率としてはとても高い。ブラジルに次ぐ高さだ。

 それが今、コロナとは関係なく債務減免交渉を続けているというニュースが出た。

 

 ここには何かの暗示があると考えた方がいいだろう。

 

 コロナ対策では、例えば東京都が留保しているいわば「貯金」が大幅に減ってしまったなどと言われている。

 本来は行政の運営に貯金などありようもないのだが、ともかく東京都のように、コロナ対策のために各国政府は緊急の経済支出を余儀なくされている。


 アルゼンチンの債務交渉はこれとは直接の関係がないのだが、このコロナ騒動の最中に交渉が凍結もされていず、こうしてヘッドラインに昇ってきたということに意味を感じずにはおれない。


 それが当サイトでは当初から想定してきた、「世界同時債権放棄」、「世界同時徳政令」と関わることだからだ。

 

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 コロナ対策で各国財政が痛み、各国の信用度が等しく低下したとするなら、それは同時に放棄すれば事足りる。


 皮肉にもその姿勢が問題となっているWHOの上部機関である国連というものの趣旨も、もとはそのように世界が共通して同じことを共有しようとするものだ。

 WHOが中国に歪められ、傀儡機関となっていることは措いておくとしても。

 

 アルゼンチンが債務交渉で新提案を行い、交渉を延期したということは、コロナとは別にあたかもドサクサのように新たな提案をしてきたように見える。

 

 それは世界が同時に相互に債権放棄することの難しさを暗示している。

 


 コロナ感染で世界中が等しく痛んでいるとしても、もともと債務負担にあえいでいた国にとってはコロナは「追い討ち」であり、そうでない債権国にとっては新たな悪材料でしかない。

 そこでアルゼンチンのような国は、自分たちこそ債務減免や縮小などの譲歩が積極的にされるべきだと主張し、債権国側と対立してしまう。

 

 債権国側からはコロナと累積債務とは別問題なのに、混同させているという批判が起きる。

 そうして、債務国側も債権国側もともに交渉のチキンレースとなり、結局どちらもが条件交渉に不満をつのらせてしまい世界同時債権放棄の合意はできない。

 

 そういうことになれば結局は富む者は栄え、困窮する者はますます困窮するだけで救いはない。


 「救いがない」ということは、V字の回復など期待できず、L字のゆるやかな回復ぐらいしか手がないということになってしまう。

 


 もうひとつの暗喩を挙げるというなら「地球気候変動問題」がある。

 これもまた同じことだ。

 先進国が気候変動リスクに対して炭酸ガス排出を制限しようとやっているところへ、途上国は不公平を訴えている。

 

 これまでさんざん炭酸ガスを排出して繁栄を謳歌してきた国々が、まだこれからという国になぜ排出制限を押し付けられるのか、そのような権利などない、そういうロジックだ。


 これまで炭酸ガスを無尽蔵に排出してきた国々こそがもっと厳しい条件で臨むべきであり、これからの成長と反映を途上国が目指すことを邪魔してはならない、と。

 


 果たして世界は共通の問題に対して足並みを揃えることができるのか、そうではないのか。


 まだコロナ財政負担について、交渉人の姿は見えないが、人間は常にそうしたものだということは忘れてはいけない。