毎日の社会で起きたこと

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グーグルも「大き過ぎて潰せない」相手か

jp.reuters.com

 

 「大き過ぎて潰せない」。

 これはリーマンショックの際、アメリカの巨大銀行についていわれたことだ。

 

 巨大化した金融業がもととなり、リーマンブラザースを潰したことでどんなにその内部が逸脱した経営をしていたとしても、もはやその与える衝撃は看過できなくなっていた。

 アメリカがそれを学んだ末のセリフであった。

 

 今やグーグルも、情報の世界ではあまりにも巨大だ。

 

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 そのユーロの政策発動の動機には、いつものユーロにつきものの唾棄すべき偽善や欺瞞、ユーロの信じがたい傲慢さがあったとしても、ユーロがグーグルの独占的な情報の扱いについて危惧していることについては理解できる。

 

 しかし、結局はこれはテクノロジーの競争であり、これまでの怠慢を挽回しようと規制をかけ、政治力を使うことには疑問がある。

 

 つまり、グーグルを規制や様々な合意によって制限しようとするのは間違っているということだ。

  

 なぜなら、グーグルがもしそのような手段で標的とされ、ユーロでの情報の分野でのプレゼンスを失ってゆくのであれば、その間隙を縫ってやはり情報の世界に君臨する者が出てくるだろうからだ。

 

 それはもちろんユーロ内部からではない。

 それはバイドウ(百度)ということになるだろう。

 中国に情報の覇権を譲り渡すことになってしまうだろう。

 これは極めて危険な事態を引き起こす。

 

 

 今のユーロに助言をするとしたら、ユーロはその傲慢な動機を欺瞞に隠すべきではないということ。

 いつものように、ご大層な建前を盾にして逃げてはいけない。

 

 堂々とグーグルに主張すればよいだけだ。

 

 すなわちそれは、「ユーロの産業のために譲歩して欲しい。共存共栄のための競争のために手加減をして欲しい」というものだ。

  許しを請うのだ。

 

 もともと北欧に発祥の由来があるグーグルがその頼みを拒むことはないだろう。

 

 果たしてそれがユーロにできるのか、どうか。

 

 

 しかも、もともとグーグルは、実は本質的に「情報の世界」で最強とすることはできない。

 

 情報のハンドリングが大きくなれば、その情報の価値はみなに共有されるようになり、透明化し、そして陳腐化してしまうからだ。

 

 それはつまり「インサイダー」ということにつながる。

 誰ひとりインサイダーがグーグルの検索結果よりも劣ると考える者などいないだろう。

  

 もしそうしてユーロがプライドを捨てた申し出をするなら、グーグルにとっては新たな良い実験の場ができることになる。

 

 しかし会社の経営として、安定した成長と利益を得て株主に納得してもらうためにはグーグル自ら選択するとはできないのだ。

 グーグルには譲歩することの説明は株主にはできても、自ら身を引くことの説明はできないからだ。 

 

 

  我々は常に試されている。

 

 ユーロの政治がどう出るか、それが注目すべき点だろう。

 

 もはやオートマトンとなったグーグルには覇権主義も独占も目的とはならない。