中国共産党と中国を分断せよ!
良記事。
まさに中国という国は共産党独裁支配に陵辱されたという歴史の途上にある。
「支配と市民を分断せよ」とは、慧眼にほどがある。しかしそれは我が国にも言えることだ。
中国に暮らす人々は実に哀れな連中だ。そこに救いはひとつもない。そして世界中に散らばった中国人にも救いはない。
この記事にあるように、中国人民と共産党は一枚岩ではない。
だから、「中国人は誰も信用できない」という理屈は容易に成立する。
共産党を支持するなら人民は共産党を改革し進歩させるべく批判や議論を行うだろうし、中国を想うなら共産党統治政府はそんな人民の声を取り入れるだろうからだ。
中国には国家としてのまとまりはどこにもない。
武漢のネットは度々閉鎖されている。習近平が視察した際、何をこれまで逃げ隠れしていたのかと呟いたネットユーザーは突然に姿を消した。
感染し隔離されたのか、強化労働か、尋問拷問か、誰もそれはわからない。
神隠しのようなものとみなが考えて、ただクチをつぐんでいる。
日々目立つ人々が姿を消している。
この先、五十年、いや十年先ですら中国の将来は誰にも予想できないだろう。今の中国のどこに問題があるのか、明確な答えを出せる者はあまりいないはずだ。
危機はどこからでもやってくるからだ。
堤防の決壊やダムの崩壊と同じく、いつでも瓦解する不安定さしかないからだ。
毛沢東時代、「四人組」だの密告者グループを作らせ、お互いに市民が監視しあうよう仕向けたのも、支配者らにとって今も昔も人民がいかに敵であるかを示している。
彼らは批判を恐れる。
彼らは公正さと一貫性によって支配の正統性が否定され不正が暴かれ、矛盾が露呈することに恐怖する。
これを糊塗するために怒号と罵声によって強権的な態度を取るのは日本のヤクザがよくやることだ。
連中は後ろめたいのだ。
警察がヤクザに対峙したとき、どうしているか、我々は中国をどう扱うべきなのかそこから簡単な連想さえできる。
「中国共産党と中国人民を分断せよ」とは、まさに中国にとってのブーメランだ。
中国はトランプのアメリカを分断しようと工作を続けてきた。
黒人差別、その前には富裕層との分断というのがあった。
そのどれにも中国共産党政府の痕跡があった。
彼らは自分たちの弱みが相手にも通用すると考えるのが常だ。
そうして今、ブーメランとなってアメリカは中国の分断をすべしと舵を切っている。
毎度の北朝鮮とみまごうばかりの常軌を逸した公式声明は今回のコロナ騒ぎでも健在だ。
WHOテドロスを使い、そのクチを操り、中国はせっせと白々しい宣伝工作に余念がない。だがそれも中国共産党自身の恐怖の裏返しだ。
テドロスは「若者こそコロナの感染を拡大させている戦犯だ」とまたもや言い始めている。
その論調はかつての鳩山を思い出させる。
東シナ海での争い、不正貿易、常に海外に向けて 自国の正当性を強弁するばかりの無法しかない。
中国政府はことごとく理屈がない。
「お前は中国政府と同じなのか」そう中国人に問うてみるべきだ。
黙っていては埒が開かない。彼らを黙らせるべきではない。
安全地帯にいる本邦滞在の中国人たちには、この場を立ち去れと言う代わりに、中国政府と自分はどこが違うのかを告解させよ。
彼ら中国共産党支配層とその支配層を影から支える中間搾取層は、無数の下層人民からの簒奪の構造を維持するための共犯関係である。
その関係には根拠がなく微妙で常に不安定だ。ロシアンルーレットのようなもの。
我々の社会にある自由と法治主義、公正さ、透明性は、たとえいささか汚れてはいても、どれも共産党の支配下では全く存在しないないものだ。中国人民はそれに憧れる。
中国人中間搾取層は自国の不正に目を瞑り、我々自由世界に寄生しようとする。そして海外で一人前のまっとうな市民として扱われることを望む。
それははかない望みだ。
彼らはその奴隷として手馴づけられ、毎日を脅えながら暮らしてきた。
まるで虫ケラのように、ルールが変わればそれに馴染もうとし動きを変えてきた。
仮面のような顔をして行列し、支配に従うだけの連中だ。
彼らの生存は毎日がサバイバルであり、同時に毎日がコソ泥だ。
誇りなどない。プライドは名ばかりの中味のまるでないハリボテだ。
そんな境遇に甘んじる中国人中間搾取層など、世界中で信用などされないのが当然なのだ。
インバウンドなどとこの連中を恥ずかしくもアテにしてきた愚は、漁民が拉致拿捕され、中国人によって一家が強殺されるまで分からないのか。
日本は大都市よりも地方こそが危ないと分からないのか。
彼らの資産を洗え。
その根拠について釈明させよ。容赦なく差し押さえよ。
我々自由法治主義の世界では不正なカネ、ブラックマネーはもはや息をすることはできないはずだ。
中国共産党は自由主義世界と取引を始めた。
無限に拡大するブラックホールを作り出し、中間層のピンハネが際限のない国際金融緩和のマネーを飲み込んできた。
中国政府は平気で人を罵倒する。その振る舞いはまるで自由世界のものではない。
その異常さは韓国のそれに近い。
我々は節度を守らない支配がいかに不安定なもので、そこに肩入れすることが危険なものであることを世界は知りつつあるのだ。
二階はアメリカから中国への異常な忖度を名指しされた。日本に中国に媚びる売国奴がいるとが公式に飛び交っていることが明らかとなった。
日本はまだ中国へモノを言おうとしない。
二階のようににまだ中国へODA援助などをしようという勢力さえいる。驚くほどの闇がある。
官僚は短視眼的な政策しか提案できず、やはり中国人民中間搾取層のように自分らさえよければと思っている。
官僚組織は支配のため、これから日本に、中国人民中間搾取層のようなものを作り出すつもりか。
その兆候は実はある。
GOTOキャンペーン、休業補償、持続可能給付金、PCR検査でさえ。
これらの政策の共通点はみな、中間業者への支援になっているということだ。
潰れかけた旅館を支援する直接支援ではない。検査体制の充実ではない、すべてが代理店、コンサル、中間搾取層への利益供与となっているからだ。
官僚は外国人を受け入れるドイツ移民モデルを検証もなしに導入しようとしているし、そこに官僚の言うことを鵜呑みにするばかりの政治家がぶら下がる。
官僚はマイナンバー、デジタル政府、住民基本台帳、GOTOキャンペーン、場当たり的な政策を政治家に提案し続けてきた。そのことごとくが無駄で失敗だった。
今回のコロナでさえ支離滅裂なのだから、官僚の無策と無能はすでに明らかだ。
そんな政治は自分で考えるヒマがない。
政争に明け暮れ、メディアは足をすくおうと愚民を煽るからだ。
今はまた、官僚らは中国人留学生とやらの受け入れ再開を始めようとしている。
腐りきった日本の大学当局は、中国人留学生へ支払われる日本政府のカネを当てにして、奇妙な言論でこの再開を要請した。
いわく、「研究機関としての活動が停滞しているから留学生を受け入れる」と。
いったい、これまで、中国人留学生が日本の研究機関にどんな恩恵をもたらしたことがあるのか。
クソ大学は解体せよ。
もはや教育など大学にはない。
官僚の思いつきの政策はことごとく失敗し、無残な姿をさらしているだけだ。
しかし官僚がその責任を取ることはない。
それは中国人民の中間搾取層が責任を取らないのと同じ構図だ。
官僚と無責任さと、官僚の言うままになって政治ゲームに明け暮れる政治家が、これほどの中国からの危険な侵略を許してきた。
鳩山や二階らが中国共産党にどんな弱みを持たれているのか、想像することすらおぞましい事実があることは想像に難くない。
中国の汚職官僚のトップは田舎の貧農の幼女を海外の賓客に抱かせ、首を絞めて殺しながらファックする悦楽を提供するという話がある。
そのフィルムは「スナッフフィルム」として一部が流出してもいるという。
日本の政治家や官僚に、疑わしいほど異常に中国共産党に偏った者はいなかったのか。
なぜこの記事のように、日本は信頼できる中国人、カウンターパートを取り込むことが出来ないのか。
腐りきった売国奴は日本人にこそいるからだ。 日本こそ分断が必要だ。
自分らの子孫と一族をさえ顧みず、無責任に今のおこぼれだけのため、自分の不埒な過去の罪を隠そうとするために国を売り続ける売国奴は、中国人のスパイよりも危険な存在だ。
首をまず刎ねるべきは日本国内にいる日和見の日本人らかもしれない。
真っ先に中国共産党にひれ伏し、おこぼれをアテにした連中だ。
このままパニックを起こして結構だ。これは最後のチャンスかも知れない。
コロナを感染拡大させ、都市封鎖を引き起こせ。
新型コロナウィルスは格好のチャンスだと知るべきだ。
旧民主、立民らがまだ党の合併などで遊んでいる。コロナ感染拡大を政府のせいにしようと息巻いている。いわく、「GOTOで感染が拡大したら内閣総辞職だ」と。
それほど言うなら、連中は今回の外国人留学生の受け入れ再開にも異議したか?
するわけがない。
差出人不明の種子が中国から日本にも送りつけられ始めた。すでにアメリカでは問題となっている。
それを「海外から」といまだにやっているのはテレビ朝日、従軍慰安婦捏造の張本人、朝日新聞の子会社。
このままコロナ感染の死者は増えてよい。
小池にとってもゲーム、政治は何もコロナを真剣に考えなどいない。それでよい。
コロナ関係で制定された法律は皆無だ。
中国人民のように、自分の国と歴史いうものと、腐敗した支配は別だということを知らしめよ。
まだ甘い状態だコロナ感染の爆発をさせよ。
「未曾有の危機」など言葉遊びは聞き飽きた。
もっと死が必要だ。
巻き込まれたくない国民は自衛すればよい。
うかつな者だけが死ぬ。全てが自己責任だ。
ライブハウスでキャバクラで、享楽の中に氏ねばよい。