政治と官僚の関係を分断せよ
政治家というのは驚くほど馬鹿で愚鈍だ。
だが実はそれが政治家本来というものの姿だ。実はそれでいい。
政治家はイデオロギーのみ。それで動くものだ。それが正しい。
マスコミが正しく報道せず、ミスリードしているから、有能な政治家がいるかのような勘違いを国民はしてしまう。
政治家が何か政策ありき、国策のために働いていると、マスコミは勘違いさせている。
挙句に国民は、よく政策を調査したり、政策に深い理解のある政治家がいるなどと思ってしまう。
幻想どころか妄言でしかない。完全なミスリードだ。
政治家は専門家、官僚、コンサル、有識者の言うことを聞き、そのどれか提案されたものについて彼ら政治家の好み、いわば「政治信条」から選択し、そして実行していく。それが本来のこと。それだけのことだ。
「政治は実行力だ」とは、けだし本当のことだ。
選んだ政策を根回し、議会工作をし、折衝し実現させる。
政治家は政策をクリエイトしない。その実現のために政治力を使うのが政治だ。
だから、そのためだからこそ、官僚由来の偏った政策立案しかできていないことは誤りなのだ。
政治家に選ばせるための政策がろくろく検討も峻別もされていない。
だからこそ政策調査能力のために議員の歳費がある。
秘書でもいい、コンサルでもいい、政治家に質問などするなかれ。
自費でつかせたコンサルに政策判断を代弁させよ。
マスコミはこれにいつも不満だ。そして、そういう常識がミスリード、官僚の暴走につながっているのが分からない。
政治家が自分の言葉で喋ろうとしたら官僚の言い分通りになるのがオチだ。
政治と官僚を分断させよ。
課題解決というのは今の日本の場合、すべてが官僚任せになっている。
本来なら政治家は足りない見識についてはブレーンを雇い、代理人となった彼らが政治家の色を吸い上げ、最も彼らに近い立場の政策を立案する。 政治家は意見を聞き、提言を受け政策を選択する。これが普通だ。
よい政治家には必ずよいブレーンがいる。これが世界の常識だ。
中立的な意見を吸い上げようとすれば、自費でブレーンを雇うことになる。
今、そんなことをしようとする政治家など皆無だ。
だから政策の中味は必ず官僚任せになり、その中味が真面目に議論などされるはずもない。
「実行するのが政治の役割だ、だからいいだろう」という開き直りさえある。ならばその政策が官僚由来のものばかりではしょうがない。
「無能な政治家」どころではない。
官僚以外に政策を立案させるカネをケチっているのだから始末におけない。
先日は消費税の話があった。
最適な消費税率というものはあるはずなのに、なぜそれが一度も議論されなかったのか。
コロナもそうだ。今、効果的対策や準備がされているのか。全てが場当たり的ではないか。
政治が、官僚の創作した愚作を実現させるだけでは困るのだ。
そして一方で、消費税を撤廃せよ」と言う政治家たちもまた脚を引っ張っている。
彼らは全否定しかしないし、目立とうとすることしか考えていない。
やはり彼らも自費でカネを払ってコンサルを雇ったりはしない。
だから議論のポイントなどない。議論すべき中心など雲散霧消してしまう。議論など成立しない。
ポジショントークする者しか彼らの周りには群がってこないのだから、責任ある対案など選択できるはずもない。
そしてテーブルをひっくり返せとしか言わない。
しかも、反対する連中は自分らの立場、野党としての立場、別なイデオロギー実現のために消費税撤廃を利用する。
そしてそれがまた議論をさせないことにつながる。
意固地になった政策担当政治家と揚げ足取りだけの政治屋。
国民経済、国民のことを考えている政治家などどこにもいない。
だから相変わらず官僚主導の無策無能が続くのだ。
国民もまともにブレーンを使う政治家を選ぼうとせず、ひたすらタレントか、政権与党しか選択肢がない。
それが日本国民の選択であり、官僚に丸投げされた愚作を積み重ねてきた歴史という結果だ。
もちろん、国政を歪めている自覚など野党にはありはしない。法律を作るべき立法府は揚げ足取りの場になっている。
人権など少しも考えてもいない。
それをマスコミは報じない。
その方が混乱が起きネタになるからだ。
野党が政治ゲームをやって、与党がそれに応じているというだけでしかない。
だから、官僚の画策した政策はどんな馬鹿げたものでも通ってしまう。
野党が脚を引っ張るばかりなら通ってしまうのは当然だ。
万死に値するとはこのことだ。
救いなどどこにあろうか。
コロナで政治が萎縮している。マスコミも政治の揚げ足取りに終始し、百家争鳴をわざわざ画策する。社会の混乱は彼らの好物だ。
そしてこれを機会にと、秩序転覆を画策する連中が狙う。
手もつけられないぐらいに国民が死ななければこの混乱は終わらない。
呆然とさせられる災厄というほどのインパクトが必要だろう。
絶望が必要だ。
原爆と同じだ。
確かに原子爆弾は落とされねばならなかった。
イデオロギーのために嘘をつく連中がいるだろうが、戦争には被害者などいない。「ヒバクシャ」などは国家へのタカリだ。
戦争反対とかコロナで命を大切せよとか、自分でよいことを言っているつもりだろうが、その連中の動機は不純で真っ黒けだ。
これを機会に何かのチャンスとばかりにとかき回しているだけだからだ。
真実を訴えるつもりなどさらさらない。
人に影響を与えようとして喜んでいるだけの愚劣な動機しかないのだ。
だから議論は歪みまくる。
核廃絶? なぜそれを中国に言わない? 戦争の悲惨? なぜウィグルのジェノサイドを放置するのか? コロナ? なぜ緊急事態法を制定せよと主張しない?
退屈な平和スローガンはもう聞き飽きた。
現在の中国政府のナチ並みの暴虐の方が重要だ。
なぜマスクもろくにできない感染症の権威とやらが、わざわざ愚もつかないアピールを国会でしたのだ?
滅私奉公ができる日本人はいなくなった。
カネも貰ってもいないのに、ご親切に中立的で確実な政策提言など出してくれるわけがかない。
露出させてくれるならと、タダでもチャンスとする連中しか出てこないのだ。
メディアが取り上げ、マスコミがコメントさせ、国会が招聘しているのだから、自分の立場を最大化させるだけのためにみなが偏った妄言を吐く。
すべてがカネだ。
ならばキチンとカネを払え。
コンサルを雇い、代理人を雇い、政策立案のための議論をさせよ。
口を出してくる連中に好機などと思わせてはならない。
ポジショントークをさせず黙って責任を取らせろ。官僚は責任を取らない。
責任を取らせ、任せていないから議論は常に歪み、流れに流されるだけになる。
政治家は自らカネを払い、政策提言やコンサルを受けよ。
「自分の言葉で政策に応える」ことなど、政治家はしなくて結構。
「私は政治家ですから、詳細はこちらへ。具体的な政策については彼らに責任をもってやらせている。」
それがマスコミ相手には最も正解な回答だ。
秋にかけ、もっと人が死なねばならなくなるだろう。
火葬場が足りなくなるほどになって初めて、ウィグルで新設された火葬場ににどんな意味があるのか気付くだろう。