毎日の社会で起きたこと

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森元総理とアウンサン・スーチー、その共通点

 森元総理の発言。本人は昨日、珍妙な謝罪会見を開いた。

 支離滅裂で、ボケ老人だという声が上がっている。

 

 しかし正直、森の発言自体はそれほど問題だろうか。

 あの発言に世界中が噛み付いて騒ぐ理由が分からない。

 

 森喜朗元総理が「文科省がうるさく云うんでね」などとして、女性登用は仕方がないが、女性がいると会議が進まないなどと、女性をクサす発言をした。

 JOC評議員会での女性理事についての発言ということだ。

 

 これを昭和の感覚だとか時代遅れだとか、女性蔑視につながるなどとして糾弾されているが、果たしてどうだろうか。

 

 女性が指導的立場に立つとそんな狂った行動に出ることが多いことは、私は同意せざるを得ないからだ。

 

 

 管理職になったのをカサに着て威張り散らすオンナ。

 モラハラまがいの暴言を吐く管理職となったオンナ。

 オンナというものにそういう性質があるかどうかの真偽はともかく、よくあることではないか。

 

 もともと、社会的に立場のない人間が意味もなく登用されれば必ず暴走するものだし、先走った言動をするものだ。

 

 森の言ったことをいちがいに「間違い」とすることはできないはずだ。

 

 

 民主主義のヒロインのように欧米に担がれたアウンサウン・スーチーは少数民族ロヒンギャの虐殺を軍に仕向けた疑いがある。

 

 だが自身はまるでその責任を取ろうとはせず、一度は「国益のため」などと、欧米に対しては開き直ったものだ。

 

 虐殺の証拠が明らかになると、とたんに彼女はその責任から逃げはじめた。

 

 今回のクーデターは、ミャンマー国軍にスーチーが責任の一切を押し付けるような動きをしていた矢先のことだった。

 

 

 だからと言って、女性は全てダメなどと最初から度外視するべきとは言わないが、では女性登用といいながら、女性を活用する社会的な意識というのは果たして育っているのか。

 

 そうしたことがまず必要なのであって、ただオンナを登用すればいいというのではないはずだ。

 

 そうでなければ、無能な女が権力をカサに着たり、やたらとチカラが入りすぎたオンナによって組織や会社が振り回されるというケースは後を絶たないだろう。

 

 女性差別反対として徒に女性たちを持ち上げる動きは、権力を暴走させる女性へとオンナたちを駆り立てていることは事実だろう。

 

 森の発言は、日本の政治家どころか男性にとって共通認識だと思うのだが。

 

 

 もちろん、確かに公の立場にある者としては恥ずかしい発言ではあった。

 

 確かにこんな発言が取り沙汰されては、欧米から嘲笑され批判のネタにされてしまう。

 しかしことの本質がなぜこうもあっさりと見過ごしにされてしまうのか。

 

 女性は権力を手に入れると暴走する傾向はないのか。

 

 森の言ったことを単に「偏見」とするのは、あまりにも安直な被差別意識でしかない。

 

 もちろん、そのようなヒステリックな態度は女性への差別を温存させることにつながることだ。

 

 

 

 しかしそれでも、私とて森のどこが悪い、などと、森を擁護するつもりはさらさらない。

 

 森を引き摺り下ろすのは大いに賛成だからだ。

 

 明白な利権を感じるし、国立競技場騒動やユニフォーム騒動などの失態がありながら責任を取らせられない状態は異常なことだ。

 

 だが、森を下ろすのに、こんなことを使わなければクビにすることもできないというのか。

 それも仕方がないと思うしかないのか。

 情けない話だ。

 

  今の我々が、森元総理を権力の座から引きずり下ろすのに、こんなことで騒がねばならないこと、そこまで利権主義がはびこっていることは呆れてしまう。

 

 コロナの影響で、もうオリンピック開催など不可能なのは明らかだ。

 それなのにまだ利権にしがみつき、ゴチャゴチャとやっているのがいるのだろう。

 

 汚らしいカネまみれのオリンピックなど、国家が関わるべきではないし東京オリンピックなどもはや開催すべきではない。

 

 

 そもそも、スポーツごときに国税を投入するなど、まさに「時代遅れ」もいいところではないか。

 

 そのスポーツの各運営団体にはあちこちで老醜がしがみつき、これまた利権化している。

 

 連中は不祥事があっても責任を取らないし、それぞれに「ドン」などというのが平然と居座っている。

 そして不祥事を起こした選手が擁護さえされる始末。

 

 こんな不健全なスポーツに、スポーツ馬鹿どもになぜ我が国が税金を投入し、国威発揚かはたまた経済効果があるなどと本気で思っているとしたらあまりにも愚かだ。

 

 

 

 

 アメフトもフェンシングも、水泳だの柔道だのも、あらゆるオリンピックのスポーツの種目でスポーツ馬鹿どもが破廉恥な事件を起こしている。

 なのに、オリンピック候補選手について人格的な素養が審査されることはない。

 

 いったい、国費を投じたオリンピックに国費を投じられて出場した選手が不祥事を起こしたら責任を取るのは誰なのだ。

 

 これまで監督責任を誰が取ったか。

 

 私的に行われるスポンサーイベントならいざしらず、なぜ国費を投入してスポーツなどという「遊び」を盛り上げてやる意味があるのか。

 

 まるで説明などつかない。

 

 

 そしてそもそも、オリンピック委員会、IOCの不透明すぎる放蕩と人事、カネにまみれた団体の闇はとうに明らかではないか。

 

 彼らはそれを追及されれば、「IOCは私的民間団体だ」などと開き直って、ことごとくその疑惑を隠蔽してきたではないか。

 

 世界中の政府がこんなペテンビジネスに乗っかって、いったい何をやっているのか。

 

 オリンピックなど即刻やめるべきなのだ。

 

 

 オリンピックを中止すべきどころか、国や自治体としての参加などすべきではないのだ。

 

 スポーツ好きのイベント屋が勝手に運営すればいいだけだ。

 

 しかし森はコロナ禍が広がっても、このオリンピック開催を諦める気配すら見せなかった。

 今回の失言で、森を下ろせるのなら好都合ではないか。きっとそう考える流れがあったのだろう。

 

 そしてこの期を得たとばかりに森元総理の発言に対し、世界中から今回の集中砲火があったということだ。

 

 東京オリンピックを無理やりやられて、またぞろパンデミックの被害を受けても困ると、世界も「森下ろし」に呼応したのだ。

 

 

 それはまるで今回のスーチー下ろしのクーデターと同じものがある。

 

 あちらはスーチーの政党が選挙不正をしたのが動機というが、ロヒンギャのことで責任逃れをし続けるスーチーの包囲網が狭まって起きた矢先のことだ。

 

 そしてスーチーの独裁的な体質は徐々に明らかになってきた。

 

 森もスーチーも、どちらもなかなか下ろせない問題のある人間を下ろすためのいい口実が見つかったという意味で共通しているのだ。

 

 

 しかしながら、これは良いことのように思えて、実は大きな、救いようのない問題を惹起する。

 

 どんなものでも武器に使おうとするのは当然のことかも知れないし、森の専制君主ぶりに対抗する連中には好機であり、スーチーの独裁を危惧する人々には当たり前のことかも知れない。

 

 使えるものは何でも使うということだろう。

 

 しかし、こうやって、まるでその場の雰囲気だけでなんでも武器にしてしまう安直さは、当の問題の本質をまるでかき消してしまう危険がありはしないか。

 

 

 BLMにしても、LGBTにしても、ミーツウにしてもそうだ。

 耳障りのよいキャンペーンのフレーズは一人歩きし、常に都合よく政治的な使われ方をしている。

 

 そしてまるで状況は変わらず、問題は固定化してしまう。

 

 黒人層が犯罪に走りやすい現実は変わらないままだし、LGBT運動とやらのため、人に性的嗜好について問うことはもはや失礼なことではないと、そんな歪んだ現実が生まれている。

 

 レイプやセクハラ被害の事実認定があろうがなかろうが、「やられた」と訴えるだけで被害者とできるのであれば、従軍慰安婦の捏造すら通ってしまう。

 

 

 奇しくも、森元総理とスーチーらはほぼ同時期に下ろされようとしている。

 その下ろされ方、糾弾のされ方、扱われ方には共通するものがある。

 

 いくら口実が欲しかろうと、もし誠実に女性差別の問題に取り組もうと考えているならこんなことを振りかざして森を叩いて悦に入っているべきではないのだ。

 

 そういう真実が見失われていまいか。

 

 

 レンホー議員が国籍も国益に対する姿勢も不明確なのに許されるのは女性だからなのか。

 

 オンナというのが、国さえ売るようなのばかりなら危なくてオンナに議員などやらせてはいけない。

 なぜレンホーのことをはっきりさせられないのか。

 

 その問題は「女性問題」に関わることなのでもう追及できないというわけか。

 

 だがその一方で秘書をパワハラしたという豊田議員は非難された。それは自民だから許されると言うわけで、驚くほど都合の良い理屈ではないか。

 

 

 とんでもない話だ。

 問題の本質を歪め、ご都合主義で使われる口実は問題の本質を没却させる。

 このような歪んだ言論は警戒すべきなのだ。

 

 だいたい、なぜ、ここまで老醜を晒す森元総理が居座って、誰も引き摺り下ろせなかったのか。

 そこにこそ問題があるだろう。

 

 なぜ、民主主義のヒロインなどと担いだ欧米は未だにスーチーを正面から非難できないのか。

 

 与えた勲章をひっそりと剥奪しただけでは済まないはずだ。

 そこにこそ問題があるのだ。

 

 

 森が言ったことはどうなのか。

 

 オンナは役職が与えられると自分だけが目立って自分の価値を周囲に見せつけようとあがく。

 そういう面があることは事実ではないのか。

 

 オンナを重要会議に参加させれば本質に関係なく片言隻語を弄し、意味不明のアピールをして議論をかき回してしまう。

  そういう傾向は誰もが知っていることではないのか。

 

 それは確かに男性もやってきたことだし、男が嫉妬に狂い、やたらと人の足を引っ張るという意見もあるかも知れない。

 

 そんな卑怯者の理屈は女性というよりむしろ男のものであり、もともとは男社会で昔からやられてきたことではないか、と。

 

 お互いに足を引っ張り合い、つぶしあい、揚げ足取りをする連中はむしろ男の方ではないか、と。

 

 

 これは議論の本質ではないから、言い返してやってもいいだろう(笑)。

  すなわち、

 

 だから、昔からそういう男のことを、

「オンナの腐ったようなオトコ」と言ったのだ、

  と。

 

 オンナという性別に甘えさせるのもいい加減にした方がいい。

 

 能力もない人間に権力を与えれば暴走する。暴走して人の命を奪い、クルマのせいにする。

 民主化のヒロインがロヒンギャ虐殺を起すのだ。

 

 それは女性かどうかは関係ないことだが、女性であるからと徒に厚遇をすればそうした歪みが出てくるのはオンナの場合特に目立つ。

 

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 それは男性中心社会ということには変わらないからだ。