香港の自治は失われたと断定
どうしてアメリカが香港の自治、自由主義的な自治にこだわるのかについては、「金融リスクを未然に防ぐ」ということが根底にある。
もちろん、人権問題や東シナ海、南シナ海での侵略行為や覇権主義への牽制もあるだろうが、根本的には香港への投資リスク、金融リスクを改めて明言したということが大きい。
いちおうの市場としてフィッチやS&Pなどの格付け機関が中国本土市場や香港市場を認めている以上、アメリカの金融機関がグローバルな活動の一貫として今後も香港に関わってゆく可能性がある。
グローバルな投資の中でポートフォリオが確立されるのだから、中国からそうは抜け出すわけにもゆかない。
しかしそれは、わざわざ中国独裁政権の人質になりに行くようなものだ。
かと言って格付けそのものを禁止するわけにも行かないし、アメリカがどの国と付きあうべきかを指定するわけにもいかない。
だからアメリカ政府自身が、香港では自由で公正な経済活動が行われる保障はないと明言する必要があったのだろう。
これで例えば香港に深入りした企業やファンドがどんな状態に陥ってもアメリカ政府はこれを積極的に救済することはないとの前提ができてゆくことが想定できる。
グローバルマネーという前提を維持しつつ、安全ではないところでの企業活動は自己責任だと明言しているのだ。
こういうことはビットコインについても同じような対応がされた。
どんな博打をしようが関知しないが、一過性の雰囲気に流された無軌道な投資行動には企業救済はないということだ。
今も米中対立の議論の中、企業ロビーが中国との関係を絶つことは多大なコストとなるとの観測記事を量産し、政府にプレッシャーをかけている。
これらは自分らの行動を正当化するためのポジショントークでしかない。
つまりまだ無知蒙昧な連中が中国との関わりを絶てないでいるということだ。
マネーもまた大衆と同じように動く。
これをコントロールや制限はしないという自由経済の原則を維持しつつ、中国への深入りについては警告する。
ある意味で悩ましいことだが、米中対立がそのまま中国の締め出しにつながれば、やはりその裏をかいて出し抜こうと企業は中国から抜け出せない。
政府のアナウンスメントが逆効果になってしまうことになる。
コロナ以前の反中国デモでも、司法長官の強権発動が撤回され、辞任とまで言わずとも一定の収束をみれば再び香港での活動を再開するとの動きはあった。
要するに何も考えていないのだ。
それがマネーではある。
だから、経済の健全な成長を追求するには、法治主義が保障された中での活動でなければならないという原則をもっと知らしめるしかない。
こういうことは最近は企業価値ということで言われ始め、環境問題への取り組みや社会貢献、ダイバージェンスへの支援などが企業を評価する要素のひとつともなっていることと同じだ。
発端は年金や公的がそのような価値を取り入れて投資を始めたところから追従せざるを得なくなった。
眉をしかめるような非倫理的な企業活動をしているところが、堅調な収益を上げ続けているなら投資は集まった。
日本のような中途半端な資本主義社会ではないアメリカにとって、そういう流れを変えるのが政府部門でもある。
ただ、国や地域となるとそうはゆかない面がある。
国家には主権というものがあり、それを前提としているからのグローバルなポートフォリオでありバランスなのだ。
もっともアメリカ政府は、入札制限などの措置をとって香港や中国に肩入れしている企業を締め出す動きをすることもできる。