毎日の社会で起きたこと

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変革に対応できない罪

 

jp.reuters.com

 

 「アフターコロナ」「アフター安倍総理」。

 日本のマスコミもそうだが、識者、言論人、すべての人々がこうした変革に適応するのを極めて苦手としているのが我が国だ。

 世の中の変化に迅速に対応することができないのだ。

 

 今度もそうしたことになるのだろうか。

 

 「アフターコロナ」と同じことはいくつもあった。しかしまだ誰もそこについていけてはいない。


 例えば、ロッキード事件というのものを経て、政治の世界ではもはや汚職はなくなった。

 先日逮捕されたIR汚職事件など幼稚園児にも等しい。


 だがまだマスメディアは未だにそうした幻影を追い続けるばかりだ。

 

 

 
 汚職ということを、「政治家が金品をポケットに入れ私腹を肥やすこと」と言うのであれば、それはロッキード事件によって消滅したと言っていい。

 

 結局、政治家というのは自分の選挙のために多額のカネを必要とし、また勢力維持のため、派閥のためにカネを必要とする。

 肥えた私腹は結局はそこに使われるのだ。

 ならばリスクをわざわざ犯して、一度自分のポケットに金を入れる必要もない。

 

 直接、選挙のために協力してくれと頼めばよいだけだ。

 それに気がつかされたのがロッキード事件だったといっても良い。

 

 派閥政治を行い、田中派という勢力をまとめ、ほしいままに権勢を集め、総理大臣にまでのし上がっていった田中角栄の事件によって、汚職というものがいかにバカバカしいことかみなが知ることとなった。

 

 田中角栄にそれだけの志があった、とは言えるだろう。

 

 

 結局、田中角栄は派閥政治のため、選挙のために逮捕されることになったのであって、選挙が思い通りになればそんなことをする必要はないというわけだ。


 そうして、驚くほど政治家の汚職はなくなった。

 

 すでにこうして政治家というものはロッキード後の動きを始めていたのに、誰もそれから先のことを追えていない。

 

 誰もが「政治家は私腹を肥やす」という馬鹿げたプロパガンダを信じ、悦に入るというのが関の山だ。

 

 現在の政治が大局を見失い、利益誘導型政治、官僚主導の政治へとなっていったのはこれがキッカケだったように思える。

 それでも安倍総理が残した功績は大きなものだった。彼は日本を取り戻すという命題を突きつけたからだ。

 何から? どこから?

 先刻ご存知でしょうww、ということだ。

 

 

 対して、菅直人のような朝鮮人から金品を受け取り、外国勢力から支援を受けている連中には利益誘導型のような政治はできなかった。

 それは利益誘導というより無能というテロでしかなかった。

 
 もちろん立民、旧民主党には秘書も含め、外国勢力からの直接のあからさまな支援がされている。

 なぜなら、支援したりカネを渡す方には選挙権もなければ表の勢力としての発言権は何もないからだ。

 

 彼ら立民、旧民主党らは外国人に自分たちの支援を頼んだ。

 

 あからさまな世論操作や、日本を貶めることで支援してくれる外国人を唯一の頼みとしたのである。

 

 もちろん、官僚からも信頼されず、官僚主導にもならなかった。

 全ては悪夢のような政権だった。

 

 マスコミはこういう売国的なことは見逃しつつ、金科玉条のごとく民主政治や代議制というものを信奉し、いつまでも誰が私腹を肥やしているか、そのスキャンダルを追うことばかり考えてきた。

 

 レンホーという国籍に疑いのある人間が議員をやっている法の未整備、このような不透明な状態を喚起したり国民議論にするつもりもない。

  日本の混乱を期待し、ただそれわ商売のネタと考えているからだ。

 

 

 

 しかしそれにしても昔から、農林族、建設族、道路族、厚生族などと「族議員」と言ってはばかられることがなかったということがある。

 

 我が国のことを考えるのではなく、業界のために政策を偏らせることが果たして国の運営としてどうなのか、誰かこれを議論の俎上に載せようとした者がいただろうか。

 

 マスコミや言論人らが、この議論を主導しようとしただろうか。

 

 今や第三の権力であるマスコミはひたすら海外勢力におもねり、金品をねだるだけだ。

 公人でない以上、そこに自浄作用があるわけもない。

 

 結論から言えば、利益誘導について正面から議論をしようとすれば民主主義の根本を問うことになる。そんなことができるわけがないのだ。

 

 利益誘導が否定されるのであれば、地元、例えば熊本出身の議員が地元のことを考えて何が悪い、そういう話になってしまうからだ。

 

 それが中国共産党独裁政府があざ嗤う民主主義というものだ。

 

 政治は数だ、チカラだというが、そうして地元利益誘導や族議員が利権を誘導することが当たり前のこととして我が国の民主主義の前提になっている。

 

 このことを誰も議論などしてこなかった。

 

 

 今回のコロナのドタバタでもそうだ。

 あまりにおかしな政策だという割には、どこを追求しているのか。まるで焦点が定まらない。

 メディアがまるで及び腰なのはそういう理由に尽きる。

 

 官僚を追及しようとは決してせず、ひたすら私腹を肥やす政治家という幻想しか追っていないため、ただの揚げ足取りにしかなっていないのだ。

 

 アベノマスクなどと、質の悪いマスクのことを暴いたところで、その会社から安倍や公明にカネがいっているわけでもない。

 だからマスクを揶揄する程度で話を終えるのか。

 マスクが足りないと、それが政治生命に関わることであるかのように報じたのは誰だったのか。

 

 このような今のマスコミや識者の態度を「床屋談義」という。

 床屋で客と主人が適当に相槌を打ち、溜飲を下げるだけの実りのない議論だ。

 

 

 利益誘導が一方向に偏り、政策を誤るというのであれば入札や法整備が必要なのではないか。

 だが誰もそんなことはやりたがらない。

 

 官僚は怠慢し、議員らには能力がない。

 そして野党に至ってはタレント気取りしかしない。

 外野はみな、カネを狙ってカッコウのいいことしか言わない。

 

 国民もこうした透明性や競争を望まない。

 

 透明性の高い社会になれば、いつ、おこぼれがもらえるかも知れないチャンスが失われるからだ。

 公平な競争に晒されれば、能力のない者は蹴落とされるからだ。

 

 これでは中国人大衆と同じ、奴隷中流市民もいいところだ。

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 恥を知れ。