「揺さぶり症候群」の嘘、大スキャンダル
自分も含めて他の多くの人もそうだろうと思う。
このタイトルの「揺さぶり症候群」というのは、ちょっと前から我々がいつの間にか思い込まされていたことだったはずだ。
いわく、
「子供を掴んで肩なんかを揺さぶってはいけない。脳に損傷を与える。それは虐待になる。」
というものだった。
しかし自分を振り返ればこれまで自分もよくやられたものではあった。
万引きを追求されたり、自分のひどい態度に親や教師が譴責したりした。
肩を掴んで揺さぶられた。
「おい!どうするんだ」なんて具合だった。
それがいけないのだという。
脳へのダメージがあるのだというのだった。
いつの間にか変わるものだな、考え方も。
その程度に思った。
そうして、そういう新しい認識に対応できない親たちが間違いをしでかし、逮捕されたと、そんな事件がよくニュースになったものだ。
まるで突然湧いたようにそんな事件が多くなったものだ。
いわく、「揺さぶって自分の子供を虐待し逮捕」そんなニュースが踊っていたのだ。
今の時代はちょっとした言葉でモラハラだのセクハラだの言われる。
事件になったりもする。
それは時代の変化ということだ。
仕方がないことだ。 我々はそこに適応してゆかねばならない。新しい規範なのだ。
「揺さぶり症候群」について、いつの間にか思い込まされ、我々はそんなものと同様に受け止めるしかなかったはずだ。
だいたい子供などいなければ、こんなことは他人事だ。
ただ世間の基準が変わったのだろう、と思った。
自分はよく脳がやられなかったものだと思うぐらいだった。
親による「揺さぶり症候群」による虐待事件はその後も数件起きた。
しかし実はこの事件は衝撃的なスキャンダルだった。
最も最新の、大きな検察を巻き込んだスキャンダルだと言っていい。
「揺さぶり症候群」なんて言われているが、それはアメリカでひとつの学説として発表はされはしているのだが、特にしっかりしたエビデンスはない仮説に過ぎない。
しかもアメリカではそのような虐待事件の例はほとんどない。
しかしどうもこれを拡張して大袈裟にし、まるで自分が発見した説であるようにあちこちで布教し、教祖となろうとした医者がいた。
それはもちろん、自分の利益のためであり、自分が「神」となるための活動に他ならない。
とうとう、今回の裁判で嘘と白日の下に晒された。
それが今回の事件だ。
・
事情を知れば、つくづく驚きでしかない。
数ある「揺さぶり症候群事件」、実は検察はこのインチキな小児科医ひとりに依存し、あらゆる同種の事件で鑑定証人として証言させていたのだという。
そこには嘘があった。
三流のCTスキャンすら読めないような劣等な医師。
しかも一介の小児科医でしかない人間が、偉そうに自説を振りかざし、何でもかんでも「これは「揺さぶり症候群」による虐待である」なんてやり、親を刑務所送りにしようとしたのだ。
それは全て自分の権威のためにやったことだ。
そして自分の思うままにコトは運ぶはずだった。
殆どの親は子供への虐待で訴追されると検察の追及に諦めてしまうだろう。なにしろ子を亡くしているのだ。
もはや気力などなくなってしまうのかも知れない。
そして点数を稼ぎたい検察は「揺さぶり症候群」の説に安易に飛びついた。
立件して起訴して有罪に持ち込めば彼らは働いたことになるからだ。
彼らはこのペテン師のような小児科医の言説を頭から信じ込んだ。
しかし、ごくわずかの親が「違う、濡れ衣だ」と声を上げた。それがこの事件だ。
そして最高裁まで争った。
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結局、ことの真相は簡単なことだ。
この小児科医は子供への虐待をテーマにして著作を出しており、彼はその道のオーソリティになりたかったというだけ。
そのためにはどんな冤罪すら作り出すのも平気な人間だった。
そのためにこの小児科医は暴走を続け、彼は何でも「揺さぶり症候群」のせいだと両親を訴追するため証言をしたのだった。
魔女狩りどころか、彼は根拠の薄弱な「揺さぶり症候群」を大袈裟に騒ぎたて、これまで症例のほとんどなかったものを事件としてあらゆるケースに適用しようとしたのだ。
それも大した証拠も見識もなしに。
それがとうとう、弁護側の追求によって本件の裁判でバレてしまった。
弁護側が複数のCTスキャンの専門家に意見を聞き、「揺さぶり症候群」とするには疑わしいと追求したのだった。
どれだけの症例を見ているかと彼を追及さえした。どれだけの見識があるのか、と。
どういう認識から「揺さぶり症候群」と断定したのか、と。
もちろん、小児科医はまさにその「揺さぶり症候群」を主張していたのだから、この見解の相違については反論があったはずだった。
検察の追及に対し、単に弁護側が揚げ足取りをしただけなのかも知れなかった。
しかし専門的な追求にペテン師は困り果てたのかどうか、とうとう小児科医は裁判の場で逆切れしてしまう。
みっともなくも自分を見失い、正体を自ら暴露してしまうことになる。
彼の口から明白な見解が出ることはなかった。
きっと、証人として専門家としての自分が別な専門家から追及をされるなどとは考えてもいなかったのだろう。
小児科医は公判で激怒さえしたと伝えられている。
そしてこともあろうに開き直り、裁判の場で逆切れをしたのだった。
そうして、その態度から誰もが知ることになる。
これまでの彼の鑑定全て、その信憑性などまるでなかったことが白日の下に明らかになってしまったのだ。
こいつは裁判で踊ったペテン師だったのだ。
彼は「揺さぶり症候群」をキーワード化して扇動しただけで何も確かなものはなかったのだった。
これは実に恐ろしい事件だと言える。
そして検察にとってこれほどの汚辱があるだろうか。
・
思えばかつて、これとまるで同じことがあった。
次々と新しい新発見をした遺跡発掘のボランティアがいた。
彼は「専門家以上の勘がある」などと担がれ持ち上げられ、いい気になった。
彼は「神の手」とさえ言われたものだ。
彼が次々と新しい発見、想定外の場所から次々と遺跡発掘をしたからだった。
しかしとうとう、彼の「業績」には疑問が投げかけられることとなる。
挙句にはカメラでその手品の瞬間が捉えられることとなってしまった。
とうとう捏造して遺跡が出たとインチキをやっていたことがバレたのだった。
それは考古学を何十年も後退させたとさえ言われるほどのペテンだった。
なにしろ考古学的な発見に大きな影響を与えた彼の発見のどれがペテンでどれが正当な発掘だったのか、再検証しなくてはならなくなったからだ。
彼は遺跡を収蔵した倉庫から手ごろなものを盗んでポケットに入れ、出るはずもないところから出たと自作自演をやった。
そうして、これはこの場所で出るのは誰も想定していなかった、新発見だとやったのだった。
その嘘が発覚する。
新発見は幻、ペテンに過ぎなかった。
まさに今回のことは同じタイプのことではないか。
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そうして、声高に「揺さぶり症候群」を告発していた男、小児科医の言説も裁判の場で疑われることになった。
その疑惑に彼はあり得ない態度で馬脚を表してしまう。
もはや何の根拠もなかったことは傍聴人でさえ分かったことだった。
だいたい検察はCTの専門家、他の医師に全くよらず、ほとんどこの医師の鑑定と証言によって親の虐待を立件しようとしていたのだから無理があった。
とうとう裁判官はこの説が極めて疑わしいことまで断定して無罪判決をする。
つまり、これまでの「揺さぶり症候群」説は虚構だった疑いがあるということだ。
これは恐ろしいスキャンダルだ。
自分の利益のため、どんな嘘でもつく連中がいる。
今は言論がカネになる時代だ。
それはアフィリエイトにしてもそうで、使ってもいないものを評価して宣伝し、推しをして購入してもらえれば報酬が得られる。
このサイトのようにただのスポンサーではない。
一部にはその記事の内容が広告に直結して担ぐような記述になっているものもある。
そしてそうした根拠のない権威づけというのは、ネットという手軽なものでいとも簡単に実現できてしまうのだ。
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結局、この小児科医は自分の著作の宣伝や自分の権威のためにどんなでっち上げも平気でやっていたことになる。
彼の所見や説については、まるで信頼が置けないものだと裁判官は断定している。
しかしそういう専門家のフリをした自己宣伝のためのペテンが検証されなければ、人々が医師資格や著作に惑わされてしまえば、どんなペテンすら通ってしまう可能性があったということだ。
それは今回のコロナ騒動でも多くの疑わしい専門家たちがいることでも明らかだろう。
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この小児科医は訴追されるだろうか。
いや、悪意がなければ、その証明ができなければ訴追することはできないだろう。
彼は自分の貧弱な見識と自説に拘泥したというだけだ。
そのペテンは動機を立証できなければ追求出来ないに違いがない。
しかしこの裁判を傍聴していた人ならみな分かっているはずだ。
この人物は自分の著作を売り、自分が「揺さぶり症候群」に関してオーソリティとなってあがめられるためだったら、どんな冤罪でも産んだ。
どんな証言でもしたのだ。
こういう人物を担いだ検察もおかしいが、こんな人間が跋扈している今の時代を考えれば恐ろしいではないか。
こうした人物を社会的に追い込んで抹殺できるものがあるとしたら、もはやネットしかないように思える。
ネットは権威にひれ伏すことはないからだ。
そして、だからこそ、既成のマスコミはネットによる追求を「ネットリンチ」などと批判するのではないのか。
その嘘や既得権益、権威を温存したいがために。