巨大化する世界の債務の解決法
異常事態に適応できるかどうか、考え方ができるかどうかは鍵になる。
こんな言質が流布されるのは想定内のことだ。
この記事のような議論は少なくともニューノーマルを前提としていない。
古い考え方なのだ。
パンデミックとは、世界が感染状態になっているということだ。
どんな国でもこれから逃れられることはできない。
たとえ自分の国に感染者がいなかったとしても、他の国からの流入を制限しなければ感染は広がることになる。
ほとんどの国が経済を止めている中で自分たちだけが経済を動かしても意味はない。
つまり世界中がコロナ対応のために経済を止め、都市を封鎖し、政治力だけを頼みとしている以上、ここで膨れ上がった債務は根本的にはあまり問題にはならないのだ。
世界中が膨れ上がった債務を帳消しにすることはできるからだ。
ただその場合、考えられる問題としてはいざ「出口戦略」ということになった時、被害の少ない国がアドバンテージを要求するケースだ。
それはまるで環境問題と同じだ。
気狂いグレタが環境問題で言わなかったこと。
それは、先進国が豊かさを享受しておいて、後進国にいまさら化石燃料を使うなとは言えない、と言う理屈だ。
後進国自身もそれをカードにしてきた。
先進国があたかも逃げ切りを企むかのように、これまでの化石燃料の消費による豊かさを前提にして、地球環境のために制限させようなどおこがましい、というわけだ。
これから豊かになろうとする後進国を、高齢化した先進国が妨害するのか、と。
コロナに絡む膨大な債務は必ず同じような衝突を生むだろう。
被害の少なかった国、規模の小さな債務の国からすれば、これを帳消しにしてしまうことは明らかに不公平に映るだろうからだ。
先進各国はこれに対して債務の適正化に努めきたことや、支援を上積みすることを約束するなど交渉することになるだろう。
それは世界的な交渉ごとになるが、WHOをみるまでもなく国際的な結束は疑問視されつつある。
本来、債務問題は国家間の問題というよりも世代間の問題だ。
今の債務は将来の行動を制限させるし、その恩恵を直接は受けていないのに、行動を制限される将来の世代にとっては重荷でしかない。
この世代間の問題を国家間の問題として今の時点で解決しようとすることが、危機への対応となるだろう。
人類としての結束が試されるとしたらその時だ。