ylliX - Online Advertising Network

毎日の社会で起きたこと

毎日の社会で起きたこと 毎日の社会で起きること 毎日の社会に起きたこと 毎日の世界で起きたこと 毎日の世界に起きること 毎日どこかで起きたこと 毎日どこかで起きること 昨日どこかで起きたこと 明日もどこかで起きること 人知れず起きていること いつかあなたにも起きるかも知れないこと 毎日の社会で起きたこと

カレンダーを廃止しろと馬鹿が云う

president.jp

 

 「極論」には必ず罠が潜むものだ。

 耳障りのよい論理、分かりやすい論理、一見すると単純すぎて言い返せないように見える論理、特にそれが極論であれば警戒が必要だ。

 そもそも単純すぎる言い方には嘘がある。


 土日祝日というのはいわば公的認定を受けた安息日だ。この仕分けをなくしてしまえ、つまり「公的認定」をなくせというのがこの記事の主張だ。


 しかしこの休日、休祭日という共通の合意を軸にして我々の社会ではライフスタイルを人々がそれぞれ決めている。

 人が時間軸で動く生き物である以上、こうした仕切りは必要だ。

 当たり前のことではないか。

 

 

 

 この記事の理屈はケジメのない社会を志向した方がいい、そういう話でしかない。

 まるで、そうすれば「蜜がなくなる」とするこの論調には明らかに嘘がある。

 

 
 当たり前のことだが、こんな「時間軸」という基準がないということになれば大衆はいっそう衆愚となるだけのことだ。

 「時計のない石器時代に戻せ」と言うこの論調は異常としかいう他はないのだ。

 

 そうなれば大衆を都合よく動かせられるどころか、訳も分からず密になり、人々が一箇所に集中し殺到することだろう。

 なぜなら、人々はカレンダーでなくお互いの動きを見るようになるからだ。

 

 そんな簡単なこともこの記事の主張は分かっていない。

 なんという低劣な、愚かな思考なのか。

 

 

 

 

 規範となるものがなければ他人を見て動くしかない。

 

 他人がどうしているかを見て動く大衆には歯止めなど期待できなくなる。パニックの時と同じ状況になるのだ。

 

 規範とされるものがなくなれば人々は社会生活のうえでは人は他人の動向を見ることを規範にしようとする。

 

 そうなれば、誰もそんな大衆に道理を諭し、「コロナ感染拡大を避けよ」とか、「社会全体のことを考えろ」などと要求などできなくなるだろう。

 

 

 

  第一、この記事は頭が狂っているとしか思えないところがある。

 

 密を防ぐのを考えるのに、カレンダーが原因であるとしてそれを撤廃しろと主張しているからだ。

 まるで、「「若年層の売春が増えているから淫行を認めて自由恋愛を認めればいい」と主張するようなものだ。

  「オレオレ詐欺が蔓延しているから預金口座を封鎖してしまえ」というのと同じようなものだ。

 

 本末転倒の議論であり、誤りでしかない。

 

 しかし、例に挙げたオレオレ詐欺対策もそうだが、コロナウィルスの感染拡大を防止するため都市を閉鎖しろと言う理屈と、実はこうした対策は共通したところがあることも事実だ。

 

 こうした論理が我が国どころか、世界中で横行していることは大きな誤りとする他にはない。

 


 この記事で振りかざそうとしていることは、ゾンビの群れを作り出そうとする論理でしかない。

 今でさえコロナを周囲に感染させてやると敵意を剥き出しにする連中がいる。

 秩序を破壊しようとする者がいる。


 にもかかわらず、その秩序のひとつを形成している「カレンダーを捨て去れ」とは、どういう話なのか。

 

 そして休祭日の時間軸を壊せば、また次の規範を崩そうとするのだろう。

 最後には国家の崩壊、無政府主義か。

 呆れた話でしかない。

 

 

 

 

 感染拡大防止のためには「密集状態が嫌だ」というなら、自発的に分散をさせるように啓蒙すればいいだけの話だ。

 なぜなら「蜜」がどれだけ感染拡大になっているかすら、今回のコロナ感染では「エビデンス」は取れていないからだ。

 

 飛沫からなのか、ただの会食から発生しているのか、あるいはもっと密な性的な接触からなのか、実はまだ、どんな場面からウィルスが暴露されているのか具体像すら明らかにはなってはいないのだ。

 

 結局、自己責任を徹底させればよいだけの話だ。

 「密」にコスト負担をさせればよいだけだ。

 

 自衛させればいいのだ。

 

 いったいにこんな論調というのは、結局は人任せにさせ、政府任せ政府批判に転嫁させるだけ。

 我が国の大衆を烏合の衆にさせて得をするというのはどういう勢力なのか、誰なのだ。

 

 

 

 この記事の論調は、あたかも日本から規範を消し去り、我が国の秩序を壊すことが目的であるかのように見える。

 

 だいたい、分散化、集中を避けるという問題というのであれば、そんな話はとうに他のことでも昔からあったことだ。

 「株主総会の集中日」がそれだ。

 

 株主参加を促進させるため、株主総会が集中している現状は改めるべきだというのは昔から言われていた。

 

 それをなぜ非難できなかったのか。

 なぜ是正できなかったのか。

 どこも真似をして、株主総会の集中日はいっこうにに変わらなかったのか。

 

 その方が経営陣には都合がよいからだ。

 株主総会の日が集中することで経営参加に積極的な株主はいくつも掛け持ち出来なくなる。それで経営陣の専横が取り沙汰されることはなくなる。経営責任が追及されることは少なくなるからだ。

 社会はそうして動く。

 

 

 

 別に休日という名目や枠組み、カレンダーを信奉しているから人々は密集しているわけではない。

 そこには合理的な理由があるからだ。

 人間として積み上げてきたリズムという理由だ。

 

 それを否定して、密集を避けるためにカレンダーを取り払え、それが解決策だ、などと考える脳味噌の色は何色だろうか。

 

 しかもこの記事には、奇妙にも「働き方改革になる」などと世間の議論にキャッチアップするような文言さえ連結されている。まるで関係のないテーマだ。

 こういう論陣を張ることを筆者はきっと、「巧妙な主張だ」などと考えているのだろうが、分かりきったことだ。

 こういう話は我が国に対する攻撃の一貫としか思えない。

 

 この手の異常な論理からすれば、これはたいてい同じ勢力からくるものだと分かる。

 どんな類の連中からきているものか明らかなのだ(笑)。

 

 

 土日祝日というくくりががあるため、社会はそれを中心にして動く。


 コロナのための社会の動きの分散と言えば聞こえはいいが、もし土日祝日というくくりがなくなったとしたらどうなるか。

 日本と言う社会、経済がひとつに集中することができなくなり、いわば分裂病状態になる。

 

 それはひいては日本の弱体化を進めることにもなる。

 

 そうした我が国の弱体化は、我が国の集団のつながりにも影響を与え、共同体意識そのものさえ危機に陥れるだろう。

 そしてコロナの拡散はむしろ加速する。

 

 大衆は他人を見て動くからだ。

 カレンダーを見ないようになればそれが加速することになる。

 

 密がより密になり、パニックになるのだ。

 

 


 考えてみればコロナ以降、誰もが上から目線のポジショントークに躍起だ。

 そもそも議論をするのでなく一方的な議論を誰かが仕掛けるのが常態化するようになっている。

 

 この現在の動きというのはある種の象徴のようにも見える。

 つまりまさしく言葉通りの「密」、すべての主張が結果として集中を惹起させることになるという、コロナ拡散の連鎖の象徴のように見えるのだ。

 

 それはつまり、「コロナ問題だけに社会を集中させている」という論調なのだ。


 これに乗じてあらゆる勢力が集結していると言っていい。

 

 医療関係者が既得権益とばかりに偉そうにご高説をたまわり、官僚がのさばり、ありとあらゆる利権連中がその利権を確保しようと不合理で不透明、そして無責任な主張をしている。

 

 そしてそのことで他人にマウントを取ろうとしているのだ。 

 それがひいては、日々の我が国での言論を腐らせている結果となっているのだ。


 今でさえコロナの正体もまだ完全には把握されておらず、にも拘わらず密だ密だと訳も分からずコロナ対策を騒ぐだけの異常さ。

 それが分からないのだろうか。

 


 本当に土日祝日をないものとすること、それがまともな議論だと信じているのだろうか。

 だとしたら驚くほどの異常で幼稚な論理だ。

 


 それでは企業の決算発表などやめてしまえ。日々リアルタイムで業績を開示すればいいではないか。

 毎月どころか毎日、業績の変動を開示すればいいではないか。

 

 それでは入学試験などやめてしまえ。毎日リアルタイムで研究や勉学、授業の進捗をチェックし、劣った時点で生徒を退学させてしまえばいいではないか。

 


 短絡的で極論に走り、それがまた耳障りのよい言葉に聞こえると信じているこの論調の異常さ。

  堺屋 太一の頃ならまだしも、今はネット社会なのだ。

 

 

 土日祝日に休まない者もいる。休めない者もいる。


 そうした均一性は裏を返せばアイデンティティとなっていることだ。

 土日が休みでなければまたそれがその人々のアイデンティティとなる。月曜日に休みの利用関係者はすぐにそれと分かるものだ。

 

 ところが、我が国ではそうした個人としてのアイデンティティを拒否したい連中がいる。ひょっとしてこういう話というのはその連中からきているのではないか。


 我と我が身、自分自身の証明からひたすら逃げようとする者がいて、連中は秩序を嫌う勢力がいる。

  それがコロナで跋扈しているということなのだろうか。

 

 

 この奇妙な主張の記事はどうやら医師が書いているようだ。

 何のシャレか分からないが「馬鹿につけるクスリはない」ということか。


 実は医療関係者は我が世の春、ここぞとばかりにコロナを煽っているではないか。危機を煽ることで彼らは自分らのステータス向上に役立つと考えている。れ

 

 既得権益とばかりに医師会は補助金を要求し、特別扱いを要求している。

 経営を優先させてコロナ感染患者の受け入れさえ拒否しているケースもある。

 

 コロナで緊急事態だというなら、そんなことを許すべきではない。


 もし医療崩壊が現実だというなら、医療行為の規制を緩和せよ。

 そもそも格商売にあぐらをかいている連中が抵抗しているから医療が危機に瀕しているのだ。


 医者は商売だ。 慈善事業ではない。

 医者が声明の危険を顧みずコロナの治療に当たっているなどとは、まさに大嘘の偽善でしかないのだ。

 

 

 


 医療崩壊は世界中で絶好の好機だろう。


 イタリアでもアメリカでも、医学生レベルにまで医療行為のハードルは下がっている。


 検温、注射。誰でも出来ること。

 まさにシロウトでもできることをしているだけで、医者や看護士らにどんな専門性があるのか疑わしいのだ。


 コロナで医療現場の欺瞞が露呈しつつある。


 最近、口を開けば医療崩壊などと実に騒がしい。連中は必死だ。

 どれだけの利権となってきたのか、想像に難くない。

 

 

 


 コロナの死人を使って我田引水し、手前味噌に明け暮れる。

 そうした連中を警戒せよ。


 規範なき社会、秩序崩壊こそが社会にとっての最悪の疫病ということだ。


 24時間営業、深夜営業、それらの愚はとっくに知れている。

 わざわざそれをまた巻き戻し、また「多様性」などと世の中を欺瞞しようとするのか。


 それはアイデンティティを拒否したい連中の企てとしか思えない。

 

 

 


 規範と基準なき社会は崩壊する。

 

 「お願い」レベルで移動を制限したと思うな。

 法を整備し、緊急事態には個人の権利を制限できる法律を整備せよ。

 

 それこそが急務ではないか。

  強制隔離できるよう法を整備せよ。


 それをせず、ひたすら、そうした政府による権利の制限を避けようとするのはなぜなのか。

 そして挙句にはこんな子供が思いついたような議論でかき回し、本質を誤魔化そうとする勢力がいるのは明らかだ。


 医者にも不逞外国人が紛れ込んでいるのではないか。

 我が国の危機を感じざるを得ない。

 


 集中を避けるだけでどれだけ感染症対策になるかは不明だが、集中を避ければよいというのならまずカネだろう、せいぜいその次に制度がある。


 土日割り増し、深夜割り増し、しかしそれはごく普通に行われていることだ。


 それがなぜ、日本からカレンダーをとっぱらって、わざわざ烏合の衆、衆愚を作り出し、秩序を破壊しようという主張になるのか。
 不思議でならない。

 

 

 そもそも、こうした議論は医療の話では全くない。社会学の問題だ。

 医療関係者が権威を獲得しようと、むりやり畑違いの社会学、その議論を弄び、馬鹿な論陣を張っている。

 医療の話、つまり疫学的議論と、社会学的な問題とが全く混同されているのだ。

 

 挙句の果てにたかが頭の悪い医者の分際で、我が国の「社会システム」に手を突っ込もうというのだ。

 

 「時計をなくせ、ネットをなくせ」、ならば、最もいらないのは有資格医療従事者ではないか。

 

 


 我々日本人が警戒すべきはコロナの混乱のため、こうしたポジショントークの氾濫が起きていることだ。

 

 今回のコロナ禍の最大の戦犯はマスコミである。

 世界中のマスコミが戦犯だといってよい。

 

 こうした愚劣な言説さえ巨大メディアは取り上げるだろう。

 そしてまた政治家に意味のない圧力をかける。

 政治は思考停止に陥る。


 いったい、この連中の目的はどこにあるのか、まずそれを考えた方がいい。


 コロナは好機だ。

f:id:rollitup_super:20200710100338j:plain

 

 少なくとも医療の欺瞞は明らかになったのだ。