毎日の社会で起きたこと

毎日の社会で起きたこと 毎日の社会で起きること 毎日の社会に起きたこと 毎日の世界で起きたこと 毎日の世界に起きること 毎日どこかで起きたこと 毎日どこかで起きること 昨日どこかで起きたこと 明日もどこかで起きること 人知れず起きていること いつかあなたにも起きるかも知れないこと 毎日の社会で起きたこと

米雇用悪化と回復期待に見る日本の惨状


www.nikkei.com

 

 先週の衝撃的なアメリカ雇用統計を見ると、つくづく思う。

 回復が早そうだということを。

 

 あれは余りに突拍子もなかった。

 この記事で描かれるグラフからもそれは明らかだ。

  だから、その印象からすれば、アメリカの失業率は決して「怖いものではない」ということだ。

 

 なぜなら、あまりに極端すぎる方へ針が振れたものだからだ。

 

 そもそも、アメリカという柔軟で活力がある社会を支えているものは、「働く意欲が削がれることがない」という点だ。それだけは言える。

 その社会は銃や人種、移民など、常に様々な問題を抱えてはいるが、バラエティがあり、そして常に前向きだ。

 

 この記事にあるようなアメリカの一時的な失業率からの回復予想、そうしたモチベーションへの信頼がまだ健在であることは、むしろ逆に日本の労働環境を心配させる。

 日本は大丈夫かと、怖いと思わせるものがあるのだ。

 


 日本は硬直的な雇用制度のためにレイオフがなく、日本特有の集団行動は柔軟さを失わせている。

 今回のコロナ対策に関しても、「命令」ではなく「要請」でここまでの萎縮状態になった。

 それはあまりに曖昧で、その場の雰囲気でしかない。

 信頼に足る法やルールがない。これは誰もが行動の根拠とするにはあまりにモノ足りないシステムだ。

 

 

 労働環境ということで言えば、組合は既得権益を追求する寄生虫に成り下がり、労働者を非正規と分け続けてきた。

 彼らは労働者の代表として振る舞うというだけで無為徒食の利権を得ている。

 そして一方では政治運動の主体となっているだけ。

 

 硬直的な労働環境は維持されているままだ。

 

 そうして実際、どの政治家も派遣ビジネスのピンハネ率規制などは言い出さない。

 


 そもそも「非正規雇用」が問題なのではない。

 企業が派遣ビジネスに60万を払いながら、そこで働く労働者は20万しか受け取っていないという現実があるのだ。

 フクイチの作業員は月額200万の危険手当を公言されながら、実際に受け取っているのはたかだか20万だ。


 こういう状態について企業は自ら改善しようとはしない。
 企業は横並びで行動し、ガバナンスはなく、機関投資家は経営者を追及しない。その機関投資家を支える個人は誰もこのことを考えない。


 だから日本の資本主義は効率が悪く、株価は日米で大きく引き離されることになる。

 


 要するに、この記事にあるように、失業者が「職探しを諦めてしまう」というような局面しか、この日本では今後、考えられないのではないかということだ。

 

 失業者は今回の自粛騒ぎにうんざりしてしまうことだろう。

 
 すなわち、もはや「生活保護だけでいい」という理屈になるしかない。

  

 これからはそういうビジネスがハヤるだろう。

 生活保護の斡旋だ。

 それはつまり絶望的な「貧困ビジネス」の台頭ということになるしかない。

 

 しかし、そもそも、それは普通に行われてきた光景ではなかったか。

 

 

 

 今、「自粛警察」などと言われる動きをしているのはほとんどの者が高齢者だ。


 その豊かな年金とヒマを持て余し、働く気も全くない。

 平時では憲法改正反対などと騒ぎ、社会への不満だけをぶちまけていた連中だ。

 そして彼らにはあるのは、社会への憎悪ばかりだ。

 

 彼らは屍のようにし、ゾンビのようにこの国の活力を削ぎ続けている。

 

 そうして彼らマジョリティは既得権益として振舞っている。

 70まで働けといわれれば、マスコミは彼らの支持を得ようとすかさず反応してみせる。それもまた寄生虫だ。

 

 いわく、「老人らへ生きがいを」という美辞麗句だ。

 彼らがやることはパチンコ、そうでなければボヤっとしているだけの枯葉でしかないのに。

 

 彼らが孤独で絶望的なほどの孤立感を味わっているのは自らのワガママが原因であることを誰も教えてやることはない。

 

 長生きしたいからと、老人たちは酒もタバコもやらなくなった。

 そうして全てを萎縮させ、国を滅ぼそうとばかりに発言権を得ているのが彼ら老人たちだ。

 彼らのそこに、生きる意味などあるだろうか。

 もはや「何かに取り付かれた連中」というしかない。

 


 日本経済自体も、いつのまにやらこういう老人たちに依存してきた。

 独裁国家ピンハネをしてきた連中、中国の中流汚職特権階級たち。

 どちらも同じ、「特権階級」ということだ。

 

 高額な老人向けツアー、クルーズ船も老人ばかりが楽しんだ。

 様々なアトラクションは、全てが老人のためだった。

 


 そして今度の新型コロナ感染騒ぎでは、「老人の命を守れ」とばかりに経済を止めさせているのだ。

 「世代間の断絶」として、このことは、すでに世界各国で言われていたことだ。

 だが日本のマスメディアは取り上げなかった。

 高齢化した先進各国では、このことがすでに問題となっていた。 

 

 

 彼ら今の日本の老人たちは、常に自分勝手で、日本のことや将来の世代のことなど考えもせず、ひたすら甘やかされてきたことは紛れもない事実だ。

  人間のクズ、最低の連中が若者の前に居座っている。

 

  そんな恥知らずたちが、またワガママを言おうとクチを開けて常に待ち構えている。

 これに知恵を貸すのがマスコミだ。

 野党にはこれらが投票してくれる票田となってくれる。

 だからイチャモンをつけていればいい。

 そうして老人たちの支持を取り付けようとマスコミはこれに甘え、野党も政府批判しかしない。

 

 

 このコロナを奇禍として日本は前に進めるのか、進むのか、どうか。

 

 もはや、ここが天下分け目ということになるだろう。

 


 もし、これからの、我々の判断と行動の基準になることがあるのだとしたら、こうした唾棄すべき醜い老人たちを一掃することをイメージし、彼らが困って自滅する方向はどこなのか、それが何かを考えることなのだと思う。

 

 もはや持続可能かどうかというフェーズに我々はいる。

 国家は持続するとしても、世代間の信頼はもはや持続できない段階だ。

 

 このことは、地球が決して滅びることはないのと同じ理屈だ。

 人類が滅びても地球は滅びない。

 太陽さえある限り、この惑星は滅びることはない。人間だけが滅びるのだ。

 

 いったい、我々の回復や蘇生、それを妨げようとする者は誰か。それをよく考えるべきだ。

 彼ら老人は害毒、コロナそのものになっているのかも知れない。

 

 そういうことを考えて、ひとつの判断基準としてみればよいのだと思う。

 図らずもオレオレ詐欺なんてものが出てきたのは新種のウィルス、これからの新しい時代を示すことと考えればおかしくはない。

 

 

 こうして考えれば、きっとこれからの「ポストコロナの時代」には確実に適応が出来るはずだ。

 その時、置いてきぼりを食らうのは恥知らずな老人たちだろう。

 彼らは衆愚で動かされやすい。テレビを今でも信じ、タレントの名前をよく知っているはずだ。

 

 


 もういい加減にした方が良い。

 だから率直に言おう。

 コロナは我が国にとって、とてもよい機会だ。

 これは「千載一遇のチャンス」と言っていい。

 

 カネは、命と同じに大事なものだ。

 

 それをゾンビ老人のためだけに失わせるわけにはゆかない。